カテゴリ:読むこと、書くこと( 4 )

愚民どもよ!

小谷野敦「すばらしき愚民社会」(新潮社)は素晴らしく毒のある傑作で、目からウロコはボロボロ落ちる、胸のつかえはたちまちスカッと解消、である。帯からして挑発的だ。「バカが意見する世の中」。

例として引用する。小谷野氏は東大教養学部の図書館で東大生が「ハリー・ポッター」をリクエストしているのを発見、唖然とする。「なにも東大生が『ハリポタ』を読んではいけないというのではないし、図書館に置いてあったので借りて読んだ、というのでも、いい。しかし、リクエストするなよ」

さらにある地方の図書館では「ハリポタ」が所蔵20数冊、待ちが二百数十人とあって「いかに不況とはいえ、二千円から三千円の本を本当に貧しくて買えなくて待っている市民がそんなにいるとは思えない。『ハリポタ』20数冊揃える公費で、学術書がいくらも買えるではないか。その辺の本屋で売っているものを図書館で待つな、愚民ども(どうせ学生なら携帯の通話料は平気でたくさん払っているのだ)。『娯楽』は身銭を切ってするものだ」

「大学生がバカになったという議論それ自体は20年前にもあったものだ。大学生がバカになったのではなく、バカも大学へ来るようになった、というのがとりあえず正しい」

こんな調子だ。

私のブログの芸風は「建て前」で固められたマスコミ文脈から外れた別の視点を提供することを目指していて、その作業は私にとって非常に楽しい。これはあくまでも所属する会社とは切り離された個人的な行為なので、匿名で出す選択をしている。さらに白状すれば、この本について「スカッとする」と書き込むのにもちょっと勇気がいった。この抵抗感はメディア勤務によって染み付いている「バランス感覚」という名の自己規制かもしれない。やはり私はブログでの匿名はやめられないようだ。

一方、小谷野氏は本名でここまで書きまくっている。私にはそこまでの勇気や自負はない。肝が据わった学者さんにはやっぱり敵わないや。

まあ私は焦らずボチボチ続けていこう。
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by haloon | 2004-09-11 20:47 | 読むこと、書くこと

山本夏彦賛

親の欲目(あるいは親ばか)っていうのは確かにあるもので、まあ親が褒めてくれなくなったら誰が褒めるのか、というほどなんですが、このブログで書いてきた記事を父親に見せたらとっても褒められちゃって、やっぱりうれしくなったりします。というのも、私の父はある出版社で編集一筋だった人で、文章の良し悪しについてはいわばプロの目利き。「親の欲目で50%増量サービス」としても、その父が私の一連の記事について「山本夏彦って読んだか?そんな感じだぞ」と評してくれたのです。

山本夏彦については名前は本屋の背表紙で知っていたが、これまで読む機会がなかった方。まず手始めに「日常茶飯事」(新潮文庫)を読み始めました。そこでびっくり。いやいや、息子をこんなスゴい方と比肩させるなんて、親ばかは500%くらい増量していたのです。ああ、恥ずかしい。老いたり、わが父よ。

カミソリ以上の鋭さであちらこちらをメッタ斬り、どれもいちいち納得することだらけ。どんどん読み飛ばすなんてトンデモもったいないから、ひとつひとつ、まるで高級ブランデーを舐めるようにゆっくり味わって読むペースに変えました。夏彦氏はすでに鬼籍入りされています。ああ、もっとゆっくり読まないと・・・・。

いつも見てくれている弟へ業務連絡。今回の記事は親父にプリントアウトして見せちゃダメだよ。
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by haloon | 2004-09-04 13:19 | 読むこと、書くこと

記者の力と、絶望の国ニッポン

毎日のニュースに流されるだけではなく、一段高い視点を持つようになりたいと思っている。

少し前になるが、たまたま聞いたタクシー車内のラジオで「経済同友会の小林代表幹事が『政府の財政赤字は日本経済の大きなリスク要因』と発言した」というニュースがあった。これ自体は小さなニュースで、その日の新聞でも記事を見なかったほどだ。しかし、この問題の奥深さと対応の難しさはこの短い記事では伝わらない。ニュースを生業(なりわい)としていると、こうしたベタ記事レベルのニュースにはいちいち反応しない習性になる。それよりもデカくて騒がしいニュースは毎日山ほど起きているからだ。

少し古い記事だが「アエラ」の1月12日号に載った「逆さメガネの日本経済」という記事では目からウロコが落ちる気がした。書いているのは山田厚史という記者さんで、この人の「アエラ」のコラムはいつも面白い。「逆さメガネ」で山田記者は今回の景気回復の様々な側面、正社員が激減している現状、デジタルだけが好調な個人消費、危機的な国家財政と国債暴落の危機、などをデータを駆使して次々に描き出す。どれもこれも、毎日読む新聞でどこかで一度は目にしたような気がする内容だ。しかしこうして並べて見せられると、「経済の今」が鮮やかに浮かび上がる。生半可な知識・見識では出来ない芸当である。

こうした記事で思い出すのは、田中角栄を総理の座から引きずりおろすきっかけになった立花隆の「田中角栄研究~その金脈と人脈」(文芸春秋1974年7月号)だ。この記事が出た時に永田町に常駐する新聞社などの政治記者は「どれもこれもどこかで出た話じゃないか」と強がってみせた、という。しかし誰もそれをひとつの記事にまとめあげることはなかった。立花隆の力量で記事にまとまったことが、内閣をひとつ吹き飛ばしたのである。まさに「雑誌ジャーナリズムの金字塔」だった。今の私には想像することすら憚られる境地だ。

金子勝の「粉飾国家」(講談社現代新書)を読んでいる。描き出されている日本の将来には暗澹たる気持ちにもなる。しかし焦っても仕方がない。絶望するな。今の私は地道に世の中を見つめ、愚直に自分の思考を練ってゆくしかないだろう。私は日本人としてこの国で生きてゆくしかないし、子供たち世代のためにもこの国を担う力を発揮しなくてはいけないのだから。

なんだか力の入った決意表明になってしまいました。
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by haloon | 2004-08-05 22:31 | 読むこと、書くこと

これはもう「自分メディア」だ

のっけから私事で恐縮だが、なんとなく始めたこのブログに今ではすっかりハマっている。私だって日本社会の一員だ、私の実感はこれで結構社会の一面を突いている、かもしれない。

始めた動機を改めて考えてみると、もちろん第一に「自己顕示欲」。「こんなことも考えているよー」というのを世の中に問いたい、という気持ちが大きいし、今もこれが最大のモチベーションだ。だからアクセスが増えたり、コメント・トラックバックをいただくととてもうれしいし、更新をサボった日に明らかにアクセスが落ちると、焦ったりする。もうひとつの動機は、毎日こうした記事(?)を書くことを自分に課す自己研鑽の場として適切だと思ったからだ。これはまた書く機会があると思う。

さて、これを支えているのが「ブログ」のこの手軽さだ。すでにエキサイトだけで4万5千人を超える人が開設しているし、毎日ものすごい数のブログが増殖中だ。自分にとってはあくまでも発信の手段としてのネット環境だから、十分広範囲にいきわたっていればなんでもよかったのであり、いまさら本格的なHPのデザインを勉強する気にもならない。

書くだけではない楽しみも知った。ブログという広大な世界の探索だ。ほとんどは素人さんの日記レベルだが(エラそうですみません)、「エキサイトブログ」としてリンクさせてもらっているページは、お金を払ってでも読みたいレベルの質だ。中には刺激的なタイトルで人を寄せておいて高度なコンテンツを読ませてくれるという手の込んだページもあって、油断がならない。こうした面白いブログはリンクするとRSSで更新が読めるので安心だが、「さらに面白いのを見つけよう」とすると更新リストをいつもチェックする破目に陥って、会社にいる時には仕事に障る(オイオイ、ちゃんと働けー)。

私は厳密な「メディア論」なんて知らないし興味もないが、ここは断言しちまおう。ブログっていうのはもう立派なメディアなんだ。ひとりひとりが圧倒的な手軽さで自由に発信中で、それを選ぶこちらの「メディアリテラシー」が問われているのだ。って、こんなお話はネットとWEBがブームになった10年くらい前から繰り返し言われていることなんだよね。遅まきながら、私は今それを実感している、というだけなんです。
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by haloon | 2004-08-02 19:57 | 読むこと、書くこと