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記者の力と、絶望の国ニッポン

毎日のニュースに流されるだけではなく、一段高い視点を持つようになりたいと思っている。

少し前になるが、たまたま聞いたタクシー車内のラジオで「経済同友会の小林代表幹事が『政府の財政赤字は日本経済の大きなリスク要因』と発言した」というニュースがあった。これ自体は小さなニュースで、その日の新聞でも記事を見なかったほどだ。しかし、この問題の奥深さと対応の難しさはこの短い記事では伝わらない。ニュースを生業(なりわい)としていると、こうしたベタ記事レベルのニュースにはいちいち反応しない習性になる。それよりもデカくて騒がしいニュースは毎日山ほど起きているからだ。

少し古い記事だが「アエラ」の1月12日号に載った「逆さメガネの日本経済」という記事では目からウロコが落ちる気がした。書いているのは山田厚史という記者さんで、この人の「アエラ」のコラムはいつも面白い。「逆さメガネ」で山田記者は今回の景気回復の様々な側面、正社員が激減している現状、デジタルだけが好調な個人消費、危機的な国家財政と国債暴落の危機、などをデータを駆使して次々に描き出す。どれもこれも、毎日読む新聞でどこかで一度は目にしたような気がする内容だ。しかしこうして並べて見せられると、「経済の今」が鮮やかに浮かび上がる。生半可な知識・見識では出来ない芸当である。

こうした記事で思い出すのは、田中角栄を総理の座から引きずりおろすきっかけになった立花隆の「田中角栄研究~その金脈と人脈」(文芸春秋1974年7月号)だ。この記事が出た時に永田町に常駐する新聞社などの政治記者は「どれもこれもどこかで出た話じゃないか」と強がってみせた、という。しかし誰もそれをひとつの記事にまとめあげることはなかった。立花隆の力量で記事にまとまったことが、内閣をひとつ吹き飛ばしたのである。まさに「雑誌ジャーナリズムの金字塔」だった。今の私には想像することすら憚られる境地だ。

金子勝の「粉飾国家」(講談社現代新書)を読んでいる。描き出されている日本の将来には暗澹たる気持ちにもなる。しかし焦っても仕方がない。絶望するな。今の私は地道に世の中を見つめ、愚直に自分の思考を練ってゆくしかないだろう。私は日本人としてこの国で生きてゆくしかないし、子供たち世代のためにもこの国を担う力を発揮しなくてはいけないのだから。

なんだか力の入った決意表明になってしまいました。
by haloon | 2004-08-05 22:31 | 読むこと、書くこと
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